先日、私は水彩画での建物の描き方について、師匠(父)に尋ねた。というのは、いままで何枚もにいがたのある風景を描いていたが、どうしても描く方向性が定まらず、師匠ならどう表現するのか教えて頂きたかったからだ。師匠はいままでの自分の作品を取り出して、いくつか例を挙げ説明してくれ、描き方を説明してくれた。
次の日、私が悩んでいた風景を描いてくれると言い出した。題材は、にいがたの中心地NEXT21周辺の風景だ。この人工的な建造物をどのように‘‘絵”らしく描くのか非常に楽しみだった。(ここでいう‘‘絵”らしさというのは写真のように忠実に写すのではなく、対象物と対話し、感情が作品に込められ、生きている絵のことを示す)
まずバスや車から描き始めた。夕暮れの温かい光が、バスや車に反射し、本来の色から深く落ち着いた色になっている。夕暮れ色の道路に映るそれぞれの影が、車自体が生きているかのような存在感を引き立たせる。そしてかすれやぼかしの表現をする無駄のない筆のタッチが、バレエを踊るかのように舞った。そのタッチから画家の感情が手から筆へと伝わり、まるで神経が紙とさえつながっているように見えた。
今回師匠が制作する上で、私が一番注目していた点は建物の描き方である。建物は人の手によって精巧に作られ、大自然と異なり自然な表現が出しづらく、絵画ではなく建築家の描いたパース図に近くなってしまう。絵画作品として描き上げるにはどうしたらよいか、非常に知りたい点であった。
師匠の建物を見て感じたのは、建物の一つ一つの形が実物と全く同じでないのにもかかわらず、その建物であるとわかるという点である。これはつまりその建物の特徴を捉えて、他はあるようでないはっきりしない表現、いわゆる拙いという遊び心で描写しているのである。この表現方法によって建物のはっきりと描くことによる作品の固さがなく、自然であり息をしているかのような建物を描写するのであった。
3時間の制作中、私の心は高まり続け、見ても見足りないほどだった。そしていつかこのような作品を描きたいと思った。
(作品 東富有 文 東 有達)
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